『アーヤーランガ』第1篇 第6章 振り払うこと 第1節6・1・6より 欲望の傍に導かれて耽っている実の親は慟哭し、「実の親を捨て去らない者が、激流を渡る黙考する修行者というものだ!」と叫ぶ。彼は家族や親類などというそこを避難場所だといって行きはしない。いったいどうして、彼がそこで悦ぶというのか。常に、この諒解にお前はしっかりとみずからをとどまらせるべきである。 〈沈思黙考〉 振り払い、しっかりとみずからをとどまらせるべきである 〈応用・適用・活用〉 色形(ルーパ)に執着して生きるものは未来に対して邪念を持ち、過ちや苦しみを繰り返し暴力を侵し、再び生まれ変わり同様のことを永遠に続ける。特に人間はさまざまな病気を患いその影響を他に及ぼすという暴力をはたらく。執着が他に暴力をはたらく。また、家族親類縁者たちは身内に対する執着が強固だ。強固な欲望によってお互いにつながっている。お互いを束縛しあい、自由を認めない。これも暴力だ。自由に生きてよいといいながら、見えないレベルでは強固な執着と束縛が働いている。そしてその影響は強力ゆえ、それに飲み込まれやすい。 家族は大切だし親が自分を生んでくれたおかげでこうしてさまざまなことが経験できてきた。感謝してもしきれない。だが、お互いの魂は自由のもとに友好的であるべきだ。お互いに暴力をはたらいてはいけない。自己都合の欲望に相手を引きずり込んではならない。これは個人対個人でもそうだし、組織・団体対個人というレベルでも同じ。 昔、ある牧師さんから教わったことにこういうのがある。 組織や団体が人を採用したり迎え入れる際に、 自分たち組織・団体がその相手にどうして差し上げることができるか? を念頭に人を迎え入れるのが本来だ、ということだ。自分たち組織・団体の利益を優先するのではなく、迎え入れる相手のためにできることを中心に世に貢献していこう、という理念というかスタンスだ。自分たち組織・団体の利益を優先するということは、 「クレクレ」という貪り 我利我利亡者 未来に対する邪念の持ち主 に他ならない。そんなスタンスの者たちを 勇気をもって振り払う のだ。そして、 本来の魂にしっかりとみずからをとどまらせるべき なのだ。だからこそ、 瞑想していこう! 活力を高めていこう! 執着に苦しんでい...