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流れの中にあって安定している




 


『アーヤーランガ』第1篇 第5章 世の本質  第5節5・5・1より

では、私は語ろう。それは例えば次のようなことでもある。平地にある満水の池は、塵が鎮まり澄みわたった状態で安定している。同様に彼は完全に防御しながら、流れの中にあって安定している。お前は見よ、彼はあらゆる面で防護されている。お前は見よ、洞察力を備え、目を覚まし、暴力行為を停止している偉大な聖仙たちがこの世にいる。これが正しいことであると、お前たちは見よ。彼らは死の時を望んで遍歴する。

 

 

 〈沈思黙考〉

彼は完全に防御しながら、つまり悪を避けながら、流れの中にあって、つまり世間の中にあって、安定している。

 

〈応用・適用・活用〉

たとえ世間の中にあって悪という欲望に囲まれていても、常に安定せよ。つまり、たとえ世間の中にあっても、

  • 洞察力を持て!
  • 目を覚ませ!
  • 暴力行為を停止せよ!

ということだ。自らを守りながらそうあれということだ。だから、

  • 「誰かが追従してくれるのか、誰も追従してくれないのか」という疑惑を放棄する
事が必要だ。疑惑があると洞察力が鈍り悪に引き込まれやすくなる。その結果暴力行為につながる。では、疑惑を放棄するにはどうしたらよいのか?
  • 信ある者、意に沿う者、供に遊行する者が「正しい」と思っていること、それは時に正しい
  • 「正しい」と思っていること、それは時に正しくない
  • 「正しくない」と思っていること、それは時に正しくない
  • 「正しくない」と思っていること、それは時に正しい
  • 「正しい」あるいは「正しいかもしれず、あるいは正しくないかもしれない」と思っていること、それは観察に基づくと正しいものとなる
  • 「正しくない」あるいは「正しいかもしれず、あるいは正しくないかもしれない」と思っていること、それは観察に基づくと正しくないものとなる
というふうに正しく観察することだ。あらゆるコト・モノをフラットに平等に観察せよ、ということだ。そうするとどうなるかというと、5・5・3によると、
このようにすれば、世間との関係性はすでに消滅している
ということだ。つまり、変化するものとそうでないものが識別でき明らかになれば、つまり諦めれば=変化し執着できないものに気づきそれを放棄すれば、そこで世間との関係性は消滅して変化するものに振り回されることはなくなる。世間にあって不動の自分が確立できているともいえようか(=無常を悟り変化するものと不変の魂の識別が明らかにできている)。。。

だからこそ、


  • 瞑想していこう!
  • いろんな角度から観察していこう!
  • 勇気をもって悪を断ち切っていこう!
  • そうやって平静・平安を勝ち取り、勝利者となっていこう!

 

 









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