『アーヤーランガ』第1篇 第5章 世の本質 第2節5・2・3より
悪しき諸行為(カルマン)に拘泥している者たちは「それらの苦痛が触れる」と言う。勇者は「諸々の接触という苦痛に触れられたならば、耐えるべきである」と言う。彼のこの肉体は、後にも先にも壊れる性質をもち、ばらばらになる性質をもち、堅固ではなく、永続的ではなく、増減するものであり、変化する性質をもつ、とお前は見よ。こういう類の繋がりを無関心に見て、唯一の拠り所を楽しみ、ここで解き放たれ、欲望から離れている者には、再び生に至る道すじはない。
〈沈思黙考〉
唯一の拠り所、つまり三宝(トリラトナ/ラトナトラヤ)を楽しみ、ここで解き放たれ、欲望から離れよ。
〈応用・適用・活用〉
三宝(トリラトナ/ラトナトラヤ)とは、次のこと。
●正見-サムヤグ・ダルシャナ Samyag-darshana(1)
言われたことを信じるということではなく、物事を正しく見て(聞いたり、感じたりして)、先入観や迷信を避け、はっきりと明らかに見ること。これは「正しい認識」とも呼ぶことができる。真実を見つけ、それを非真実と区別しようと決意しない限り、これを達成することはできない。☞ヴィヴェーク・スートラ「自分自身で真実を見つけましょう」
●正知-サムヤグ・ジュニャーナSamyag-jnana
宇宙の真理についての正しい知識を持つこと。この正しい知識とは、宇宙に関する5つの(あるいは6つの)素性と9つの真理についてことで、この正しい知識を正しい認識で持つことが正知。かみくだいて言うと、正知とは純粋な魂を持つことで、つまり執着や欲望から自由な魂を持つということ。また、正しい知識を持つ人は、自然に執着や欲望から自由になり、心の平和を得ることができる、といえる。
●正行-サムヤグ・チャーリトゥラ Samyag-charitra
正見・正知に基づいた生き方、正見・正知の実践。ジャイナ教の5原則や3戒律などに従って生活し、生き物に害を与えないようにし、執着やその他の不純な態度や考えから自分を解放すること。
(1)サムヤク=「正しい、ちゃんとした」の意味。 他語とハイフンでつながると「サムヤグ」になる
これらを
- 『楽しみ』、
- この三宝のもとでカルマから解き放たれ、
- 欲望から離れよ
- 諦めが肝心
と考えている。なぜ諦めるのが肝心なのかというと、それは、
この肉体は、後にも先にも壊れる性質をもち、ばらばらになる性質をもち、堅固ではなく、永続的ではなく、増減するものであり、変化する性質をもつ
からだ。肉体は瞬間瞬間に変化していて、ゆえに一定ではない。固定されていない不定のものだ。そこにしがみついたり執着したりすることはそもそもできないし、その不定の肉体によってモノやコトといったやはり瞬間瞬間変化している性質にしがみついたり執着したりすることもできないのだ。だから諦める。まずは理屈としてそれを諒解し、初めからパッと無執着になったり欲望から離れるなんてこれまでの自分を振り返った時に「ムズイ!」とわかっているのだから、
- 「そりゃぁそんな簡単に自分に打ち克つなんてムリ!(肉体というカルマの中のカルマをもった)人間だもの。ゆっくり取り組んでいけばいいや」
- 「あるから出てくるんだよね~」
- 「はい、また出てきました~」
- カルマが癖として表出したらそれを祝福していこう!
- 繰り返す過ちや失敗などを通じて三宝を学べるのを楽しんでいこう!
- そのためにも瞑想して知り尽くす力を養っていこう(←ゆっくりゆったり)!
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