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11月, 2023の投稿を表示しています

あなたがたが求める外見の清浄は、正しい祭祀ではない

『ウッタラジャーヤー』(抄) 第12章 黄色い髪をしたもの 12・38より (バラ)「バラモンたちよ、何故聖火の世話をし、水によって外見の清浄を求めるのか。賢人たちは言う。あなたがたが求める外見の清浄は、正しい祭祀ではない。 〈沈思黙考〉 あなたがたが求める外見の清浄は、正しい祭祀ではない 〈応用・適用・活用〉 清浄のために執り行っている祭祀は、実は内容の伴っていない外見ばかりの形式的なものである。そのことに気づかずにその形式的な祭祀を当然だと無意識に思い込んでいたバラモンたちは、托鉢でその祭祀場に訪れたバラ(聖人)の外見だけを見て低俗だと勘違いしてしまった。 自制 精進 静寂 をなしている聖人の内面に全く気付かなかった。外見だけ取り繕っている者は真実と嘘、何が本当に大切で何が不要なのか、といったことが分からなくなる。目が曇っていく。 「星の王子さま」(サンテグジュペリ)で出てくる 「かんじんなことは、目に見えないんだよ」 の通りだ。相手のこともそうだが自分自身に関してだって世の中の情報にしたって、そうなのではないか?そこでまず、 しっかりと目的地を確認し今一度明確化する ことが重要かと。バラモンの祭祀を例に挙げると、 祭祀の真の目的は何なのだろうか? 清浄とはどういうことなのだろうか? といった問いを立て、アネーカーンタ(非独善主義)の立場から真の目的地を明確化していくことだ。そうやって曇っていた自らの目をまずは明るくし ものごとを明らかに観る ことができるよう自己をととのえていく。そのうえで、 他物や他人に真実を観ていく ようにする。この作業を同時に成していくのが 瞑想 である。自己を深く観ていき、そこに他も見出していく。そこから得た真実を自他へ活かしていく。プレークシャー瞑想で唱えるヴィヴェーク・スートラがまさにこれを言っている。 「自分自身で真実を見つけましょう。そして全ての生き物たちと仲良くしましょう」 12・45でバラモンたちがこういうふうに問ういている。 「あなたの池は何ですか。あなたの聖なる霊場は何ですか。どこで沐浴し、どのように不浄を取り除くのかを、言ってください。夜叉たちによって供養された修行者よ。我々は目の前であなたからそれを学びたい」 するとバラがこう答える(12・46~12・47)。 「法(ダルマ)が池であり、神聖な...

ここに修学を不可能にする五つの原因がある

『ウッタラジャーヤー』(抄) 第11章 博学 11・3より ここに修学を不可能にする五つの原因がある。すなわち、傲慢、怒り、不放逸、貪欲、怠惰である。 〈沈思黙考〉 ここに修学を不可能にする五つの原因がある 〈応用・適用・活用〉 今回は自分自身をととのえ浄め高めるためのチェックリスト。まずは、修学、すなわち師や教え、はたまた他人からや自分のカルマなどから学び、そこから自分をととのえ浄め高めるにあたり障害となる要素についてのチェック。 傲慢 怒り 不放逸(自制がきかず自己中) 貪欲(なんでも欲しがる) 怠惰(なまけ) の5つが障害となる要素。日常生活からこれらの要素が自分にないかどうかチェックすることだ。 次にどのようにして修正していくかというと、それは11・5~11・6にあるように8つあって、 笑わない(過度に反応し余計な感情やカルマを、自分も引き起こさないようにし、他人が引き起こしてしまうのを防ぐ) 常に自制する 秘密を話さない 不作法にふるまわない 行状悪くふるまわない 甚だしく欲し欲しがらない 怒りから解放されている  真理を愛している(本当のコト・自分を観る) ということを目指すのだ。 そして、自制の努力をしながらも次の14の状態に陥ってしまっている人も要注意だ。すなわち、 しばしば怒る 続けざまに怒る 友情を否定する 博学を得て自慢する 悪口を言いふらす 友人に腹を立てる 仲の良い友人のことを陰では悪口を言う でたらめに話をする 悪意がある 傲慢である 貪欲である 自己を教導しない 分かち合わない 賢くない(愚かである) こういう人は、よく教導された人を手本にし少しずつ修正していくと良い。すなわち以下の15の徳性をもつ者を見習ったりその者が持つ特性を積むようにしていくのだ。 生活が控え目である  堅固である 欺かない  好奇心を持たない(欲望や余計な感情を引き起こさないようにする) 侮辱の言葉をほとんど言わない 続けざまに怒らない 友情を崇め尊ぶ 博学を得ても自慢しない 悪口を言いふらさない 友人に腹を立てない 仲の良くない友人であっても、陰ではその友人の美点について話す 口論と騒動から解放されている 高貴な生まれである (過去生で特性を積んできた結果高貴な生まれを得た者) 謙虚である 虚心である 私自身...

そして寂静の道を実践すべきである

『ウッタラジャーヤー』(抄) 第10章 木の葉 10・36より 完全に安らかになった覚者は、村にあっても町にあっても、自制者として遊行すべきである。そして寂静の道を実践すべきである。ゴーヤマよ、貴重な機会を無駄にす べきではない。   〈沈思黙考〉 そして寂静の道を実践すべきである 〈応用・適用・活用〉 静寂の道を実践していこう!自らのカルマを少しでも克服していき、穏やかで平安で平和な空間を自分の周りにつくっていこう!そのためにも 自制者として遊行するべき である。自分を自制しながら精神的にも肉体的にも遊行するのだ。精神的な遊行は、 とらわれないこと 変化や移ろいをそのまま観ること などだろうか。たとえば怒りの感情に囚われないようにすることや、喜びに過度に浸らないことなどだ。そして肉体的な遊行は、 必要とされているところへ赴きそこでやるべきことをやること といったことだろうか。私の場合は、ヨガや瞑想が必要な人のもとへ赴きそこでともに学びあうことだ。 このように遊行し自分のやるべきことを全うしていくためにも 生活をととのえ(=自制し)ていこう! ととえた自分を、遊行を通じて役立てていこう! みずからをととのえ遊行していくためにも、自分のカルマを知っていこう! 知った自分のカルマは少しでも良いから放棄していこう! そして、カルマを放棄した自分を生かして、静寂の道を実践していこう! シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている ↓テキストブックはこちら↓ 『ジャイナ教聖典選』(国書刊行会) https://amzn.asia/d/5ipN9Ww +-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- ふくヨガ~自分が自分の医者になる冥想ヨガ~   文京区・池袋・厚木・茅ヶ崎・秦野・御殿場・Zoom https://www.fukuyogamedita.com/ SNS Facebook p...

ただ自分自身を征服したとするなら、それは彼にとって最高の勝利である

『ウッタラジャーヤー』(抄) 第9章 ナミ 9・34~9・36より 「 戦いにおいて征服しがたい幾千もの敵を征服するであろう人が、ただ自分自身を征服したとするなら、それは 彼にとって最高の勝利である。自分自身とのみ戦え。何故あなたはうわべだけ戦うのか。自分自身によって自分自身を征服してから、人は幸福になるだろう。五根、怒り、高慢、迷妄、そして貪りの心を、また同様に征服しがたい自分自身をさえ征服して、自分自身が 征服されたとき、すべてが征服されたのである」     〈沈思黙考〉 ただ自分自身を征服したとするなら、それは彼にとって最高の勝利である 〈応用・適用・活用〉 最高の勝利・最上の幸福は 自分自身を征服 した先にある。敵は自分自身の内にあるのだ。 他人のせいにする(←耳が痛いッ) 環境のせいにする(←耳が痛いッ) 運のせいにする(←心が痛いッ) のではなく、それを引き起こしている自分のカルマと向き合いカルマを征服するしかない。そのカルマという名の敵の本質は、 五根(眼・耳・鼻・舌・身) 怒り 高慢 迷妄 貪りの心 だ。他人の言動や自分を取り巻く環境、運などといった外的刺激に対して、自分の感覚器官が反応して怒りや高慢や迷妄や貪りの心といった内在する負のカルマにスイッチが入り表向きの言動として発動してしまう。これらを征服し、自分を平安・平和にしていくのだ。だからこそ、 まずは内在するカルマの本質(性質・成分)を知識として知っていこう! とりあえず反論はせず、その知識をしっかりと諒解しよう! カルマの性質が表に出てきたらそれにガッカリしたり後悔したりせず、「うん、そういうのが確かにある!」と事実認定のみをしよう! その事実に対して事務的に(=感情や気持ちを介さずに)対処法を考え実践していこう! 以上を実践するためにも瞑想していこう! अर्हत वन्दना(アルハット ヴァンダナー) より जोहस्सं(ジョーサハッサン)सहस्साणं(サハッサーナㇺ)संगामे(サンガーメー)दुज्जए(ドゥッジャエー)जिजणे(ジネー)एगं(エーガン)जिणेज्ज(ジネーッジャ)अप्पाणं(アッパーァナㇺ )एस( エース)से (セー)परमो (パラモー)जओ(ジャオー) 「戦士は戦場で100...