『ジナチャリヤ』(抄)── 誕生から入滅まで 118より
…その尊い者にはどこにも束縛がなかった。それ(束縛)は四つの点で 説明された。すなわち、実体の点で、場所の点で、時間の点で、状態の点で、である。実体の点でとは、生命を含むもの、生命を含まないもの、その混合においてである。場所の点でとは、村、都、荒野、田畑、脱穀場、あるいは庭においてである。時間の点でとは、サマヤ時、アーヴァリヤー時、一呼吸時、トーヴァ時、カナ時、ラヴァ時、半時、ムフッタ時、一昼夜、半月、一箇月、一季節、半年、一年、何れかの長期間においてである。状態の点でとは、怒り、慢心、偽り、貪り、恐れ、笑い、愛着、憎悪、諍い、誹謗、密告、敵対者の非難、快苦、詐欺〈中略〉誤った信仰という罪においてである。かの尊い者に、このようなものは生じなかった。
〈沈思黙考〉
その尊い者にはどこにも束縛がなかった
〈応用・適用・活用〉
どこにも束縛がないということは、まったくの自由であるということ。完全なる自由ということである。完全なる自由は
- 実体の点で束縛がない
- 場所の点で束縛がない
- 時間の点で束縛がない
- 状態の点で束縛がない
- 実体の点で束縛がない→肉体に対する執着に勝利した
- 場所の点で束縛がない→モノ・コトの所有・執着に勝利した
- 時間の点で束縛がない→時空(の概念)に勝利した
- 状態の点で束縛がない→感情に勝利した
ということができるだろう。執着に勝利し、あらゆるレベルにおいて平等=ゼロになったといもいえるか。。。ものごとをあらゆる角度・あらゆる面からみることができて知ったうえで、それらを放棄できているともいえよう。
執着に勝利するのだ!!!
勝利せよ、喜ばしい方よ。勝利せよ、よき方よ。君に幸いあれ!
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『ジャイナ教聖典選』(国書刊行会)
★このブログの目的は、
- プレークシャー瞑想やそのバックグラウンドについて研究すること
- 研究したことをプレークシャー瞑想やヨガの指導に反映させ、受講者により良いものを提供していくこと
- 聖典の内容を自分なりにどう日常へ適用・応用していくかを練っていくこと
- ジャーナリングを通じて自分自身と対話し、心・身・魂をととのえること
などです。
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