『ウッタラジャーヤー』(抄) 第25章 動物を犠牲にする祭祀 25・9より
しかし偉大な牟尼は、司祭によって拒否された。だからといって彼は怒りもしないし、喜びもしない。なぜなら彼は、最高のものを求めていたから。
〈沈思黙考〉
だからといって彼は怒りもしないし、喜びもしない。なぜなら彼は、最高のものを求めていたから
〈応用・適用・活用〉
「なぜ?」が明確であれば、どんなことがあろうとも感情が揺さぶられることはなく、落ち着いて物事にあたることができる。「なぜ?」が明確であれば、それに対してどのようにアプローチしていくかも明確になるし、目的も何をやるかもハッキリする。だから怒りもしないし喜びすぎることもない。争うこともない。
最高のものを求めて
いるからこそ、常に平静で平安なのだ。最高のものとは、何か物質的なものではなく、自他の益となる哲学的観念、もっと平たく言うと、理想みたいなものといってよいかと思う。その境地を、自分の活動や生きる目的地にするということだ。25・32にそのヒントというか指針みたいなものがある。
平等によって沙門となり、梵行によってバラモンとなり、知識によって牟尼となり、苦行によって苦行者となる。
ということだ。つまり、
- 常に公正・平等であること(→偏りがなくなるので沙門のごとく自由に道を求めることができる)
- 我利我利と欲深くならないこと
- 常に学ぶこと
- 目的地に向かってできること・やるべきことを精一杯行うこと
という風に日常に応用できるかと。。。
そういうことで、いつも「なぜ?」を念頭に置いて、以上を日常で実践していこう!
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『ジャイナ教聖典選』(国書刊行会)
★このブログの目的は、
- プレークシャー瞑想やそのバックグラウンドについて研究すること
- 研究したことをプレークシャー瞑想やヨガの指導に反映させ、受講者により良いものを提供していくこと
- 聖典の内容を自分なりにどう日常へ適用・応用していくかを練っていくこと
- ジャーナリングを通じて自分自身と対話し、心・身・魂をととのえること
などです。
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