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束縛がなくなった





『ウッタラジャーヤー』(抄) 第19章  ミヤーの息子 19・90~19・91より

彼は所得と無所得、幸福と不幸、生と死、非難と賞賛、慢心と恥辱に対して公平である。彼は自負心(うぬぼれの強い行為)、熱情、有害な行為、罪深い行為、危険な行為、笑いと悲しみを止めた。彼は来世への願望をもたず、束縛がなくなった。


〈沈思黙考〉

公平さをもち悪感情や悪行を止めることで、来世への願望を持たず、束縛がなくなった

〈応用・適用・活用〉

所得にせよ無所得にせよどちらかに偏れば、それは執着へつながりそこから余計な感情や行為が起こってくる。幸福や不幸、生と死、非難と称賛、慢心と恥辱などに関しても同様だ。そういったことにとらわれないことが公平であり、無執着ということ。執着が無くなれば、そこにとらわれることが無くなるので、つまり、束縛が無くなるので自由になれる。

たとえば、それまでに所有を多く成してきたのならば、それを相殺するべく無所有を実行する。ゼロ(0)が公平ということだ。日々自己を内省しながらゼロに向かって生活をする。また、行ったことにとらわれたり執着したりせず、淡々と行う。行ったことに対して何かを求めてしまえば、求めることによってゼロから遠ざかる。

ただ、人間だから、行ったことに対して何かしらの感情が湧いてくるのは仕方がない。そこで過剰に反省したり落ち込んだり喜びすぎたりするのではなく、感情やそこから来る行為をなしてしまったなら、
  • 「ハイ!そこでおしまい。修正していこう!」
と切り替えることだ。そういった感情や後悔はさらなるカルマを生み出すだけだし、ある種の執着だ。束縛につながる。だから、
  • 自分は完璧でないことを諒解していこう!
  • 為したことから来る感情に引きずられずに、パッと切り替えていこう!
  • パッと切り替えるためにも、どのよう修正しゼロに近づけるかにフォーカスしていこう!
  • フォーカスすべき対象を明確にするためも、日々瞑想していこう!
  • 束縛から少しでも自由になっていこう!


シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている

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