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口論と論争に熱中する人は、悪い沙門と言われる





『ウッタラジャーヤー』(抄) 第17章  悪い沙門 17・11~17・12より

人を欺き、おしゃべりで、傲慢で、貪欲で、自制しないで、食物を分け与えない、賢明でない人は、悪い沙門と言われる。論争を引き起こし、行いが悪く、彼が得た彼自身の知識を台なしにし、口論と論争に熱中する人は、悪い沙門と言われる。


〈沈思黙考〉

口論と論争に熱中する人は、悪い沙門と言われる

〈応用・適用・活用〉

口論と論争に熱中する人は、つまり自我を通そうとして=自分の欲望を満たそうとすることが根底にある者だ。だから自制の利かない者のことだ。また、自分を正当化したり自分の主張の正しさを強調するために他を批判したり排斥したりすることもある。だから、いろいろな違反を犯してしまっている。たとえば、
  • ミットバㇵーシャン:言葉の自制
  • アネーカーンタ:非独善主義
  • アヒㇺサー:非暴力・不殺生
といったことに違反してしまっている。言葉の自制が利かないということは、しゃべりすぎているということになるし、独善的になってしまっているということは自分の主張のみが正しいと近視眼的になってしまっているし、暴力が言い争いによってなされてしまっている。口論や論争は、傲慢なものの為す悪行であるということだ。ここからは悪いカルマしか生まれない。感情的になって肝心の目的地も見失ってしまう。口論や論争といった愚行によってこのような状態に陥ってはいけないし、そうなることは不本意なはずだ。だからこそ、
  • いつも目的地を明確に持とう!
  • 「ある観点からすると正しいかもしれないが、ある観点からすると正しいとは言えない」という視点をいつも持とう!
  • お互い平等であるということを諒解しよう!
  • お互いの良いところを組み合わせて、お互いに高めあっていこう!
  • 以上を実践するためにも以下の1~3を心がけていこう!

  1. 瞑想や学習などにおいて感官の享楽から心を護ること(意)
  2. 沈黙を誓願することによって悪言を発することを妨げること(口)
  3. 罪深い行為をなすなすことから身体を制御し妨げること(身)

そして、

  • いつも「アヒㇺサー(非暴力・不殺生)」と心にとどめて生活していこう!


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