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たいへん謙虚でたいへん控えめであり謙虚さも控え目で、力があって光り輝き煌めいて…




『 ラーヤパセーニヤ 経』(抄)──パエーシ王物語 7
その時代、その時に、パーサの弟子でケーシという若くして出家した者がいた。家系がよく家族がよく、体力がよく容姿がよく、 規律・知識・信仰・行いがよく、たいへん謙虚でたいへん控えめであり謙虚さも控え目で、力があって光り輝き煌めいて、怒り・慢心・迷い・欲望・恨みを抑え、感覚器官を制御して艱難に耐え、延命や死の 恐怖を持たず、苦行に秀で、性格・宗教行為・行動に秀で、自制・率直さに秀で、柔和・控えめさ・忍耐・放念に秀で、学問・マントラ・貞節・論理に秀で、規則・清潔さに秀で、正しい知識・正しい信仰・正しい行いに秀で、14のプッヴァ( Skt. プールヴァ)を保持して四種類の知識を備え、五百人の出家者に囲まれてしかるべき道順で歩き村から村へと遊行して安楽に移り、サーヴァッティーにあるコッタアの霊域にやって来た。

〈沈思黙考〉
たいへん謙虚でたいへん控えめであり謙虚さも控え目で、力があって光り輝き煌めいて…

〈応用・適用・活用〉
自分の内にしっかりとしたダルマを持ってわき目もふらずその道を進む者は、大変謙虚でたいへんひかえめであり、さらにはその謙虚さも控え目なのである。それであって力があり光り輝き煌めいているのだ。真の力やその人も持つ輝き・煌めきは、そういった静けさに宿るのだ。であるから、
  • 自分の進むべき道を明らかに鮮明にし、その道をしっかりと歩んでいこう!
  • そのためにも瞑想していこう!
  • そして、控え目な謙虚さと静けさに近づいていこう!
  • その静けさをもって、光輝き・煌めいている力あるものとなっていこう!

シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている
 


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  • プレークシャー瞑想やそのバックグラウンドについて研究すること
  • 研究したことをプレークシャー瞑想やヨガの指導に反映させ、受講者により良いものを提供していくこと
  • 聖典の内容を自分なりにどう日常へ適用・応用していくかを練っていくこと
  • ジャーナリングを通じて自分自身と対話し、心・身・魂をととのえること

などです。



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