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サーマーイカ行に対する五つの過失を、諒解するべきであり、実行するべきではない




『ウヴァーサガダサーオー』 第1章 アーナンダ 53より

それから、サーマーイカ行に対する五つの過失を、ジャイナ教在家信者は諒解するべきであり、実行するべきではない。それは以下のとおり ──思考を悪く据えること、言葉を悪く据えること、身体を悪く据えること、サーマーイカ行を想起しないこと、不安定なサーマーイカ行を行なうこと。 

〈沈思黙考〉
サーマーイカ行に対する五つの過失を、諒解するべきであり、実行するべきではない

〈応用・適用・活用〉
テキストブックの注によると、サーマーイカ行とは、
在家信者が日常的に行う儀礼的な行のひとつであり、可能なら一日三度、最低でも一日一度、日没時に、寺院などの閑静な場所で、一時的 に出家者の状態を標榜しながら ── 具体的には、所有物や妻子を一時的に放棄した状態となるが、所有意識が捨てられているわけではないので完全に出家者の状態になりうるわけではない ──、『 アーヴァッサヤ』1・2にある「サーマーイヤ・スッタ」と呼ばれる経文を唱えて瞑想を行なう
というものである。これを一言でいうと、
  • カルマを作らず・流入させない時間を設ける
ということ。それに際して重要なのが、5つの過失を犯さないことだ。つまり、
  • 思考を悪く据えること
  • 言葉を悪く据えること
  • 身体を悪く据えること
  • サーマーイカ行を想起しないこと(つまり、サーマイーカを設けないこと)
  • 不安定なサーマーイカ行を行なうこと
といったことを犯してはならない。これは何も宗教者や修行者、在家者にだけ適用される原則ではない。そうでない人にも応用できるし、活用すると良い。そういうわけで、
  • 悪い思考を放棄し、それとは反対の善き思考を据えていこう!
  • 悪い言葉を放棄し、それとは反対の善き言葉を据えていこう!
  • 悪い行いを放棄し、それとは反対の善き行いを据えていこう!
  • カルマを生まず流入させないような時間を設けていこう!(瞑想しよう!)

シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている
 


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