『ダサヴェーヤーリヤ』 第10章 教導あるいは礼節に対する集中 10・19より
生まれを誇らず、容色を誇らず、得たものを誇らず、聖典知を誇らず、すべての憍慢を避けて、法についての瞑想を楽しむものは、真の托鉢僧である。
〈沈思黙考〉
生まれを誇らず、容色を誇らず、得たものを誇らず、聖典知を誇らず、すべての憍慢を避けて、法についての瞑想を楽しむ
〈応用・適用・活用〉
驕り高ぶってはいけない。いつも謙虚であることが、10・10にあるように
論争となる話をせず、怒らず、感官が落ち着いて、寂とし、意・口・身の行為をもって常に自制に専念し、傷つけず静まっているもの
だ。こういうものは、私個人にとっても理想とするものだ。こういう者に近づくためにも、
- 『意』のレベル、つまり考えとか思いとか、意識の方向とかにおいて驕らず誇らないようにしていこう!
- 『口』のレベル、つまり発する言葉において驕らず誇らないようにしていこう!
- 『身』のレベル、つまり行動や表情などにおいて驕らず誇らないようにしていこう!
- 以上のためにも、瞑想して心身魂をととのえ、アネーカーンタ(非独善主義)の立場をとっていこう!
シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている
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『ジャイナ教聖典選』(国書刊行会)
★このブログの目的は、
- プレークシャー瞑想やそのバックグラウンドについて研究すること
- 研究したことをプレークシャー瞑想やヨガの指導に反映させ、受講者により良いものを提供していくこと
- 聖典の内容を自分なりにどう日常へ適用・応用していくかを練っていくこと
- ジャーナリングを通じて自分自身と対話し、心・身・魂をととのえること
などです。
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