『ダサヴェーヤーリヤ』 第9章 教導あるいは礼節に対する集中 第4節 9・4・3より
さて、四種の、礼節に対する集中がある。それは以下のとおり。①教えられている時は進んで聞こうとする。②正しく実践する。③知ったことを教わった通りに実践する。④そして、そのことによりみずからが思い上がったものとならない、ということが四番目の句である。ここに詩節がある。
〈沈思黙考〉
①教えられている時は進んで聞こうとする。②正しく実践する。③知ったことを教わった通りに実践する。④そして、そのことによりみずからが思い上がったものとならない
〈応用・適用・活用〉
学び方は非常に重要だ。相手の話を聞かなかったり、とかく自我を前に出して「でも、…」とか「だけど、…」と反論が多かったり、教わったことをまったくやらなければ、結局は自分を害し続ける。
私の短いヨガ指導・瞑想指導経験からで恐縮だが、やはりこういう方々はその方の望む改善はあまり見受けられない。素直な方がみるみるとその方の望む方へと改善していく。若いとか歳を取っているとか、性別などは関係ない。これは明白だ。私の指導が良いとかそういうことではなく、ヨガや瞑想に素直に取り組んでいるかどうかの問題だ。
私がその昔ヨガに入門したときも、呼吸を意識し起こってくる感覚を感じるという指導に忠実に従って、約7年苦しんだ病が3か月目あたりから劇的に改善していった。取り組んだことはヨガの原則ぐらいで、つまり呼吸と動作と意識集中の3つを統一して行うという原則に対して、素直に忠実に実践した結果だ。そこから望んでいたことがアレコレと次々に実現していった。
どういう者に教わったり従ったりするかということも非常に重要だが、それはやはり同じで、
- 聞く耳を持つ者
- 正しく(原理や摂理、哲学に沿って)行っている者
- 原理や摂理、哲学等に対して反論ばかりしたり自我をしょっちゅう前面に出したりしない者
- 思いあがったり人を見下したりしていない者(思い上がりや他を見下すことで自分を優位に立たせたり自分は凄いと見せかけたりしない者、「私はお前に教えてやっているのだ」という内心の働いていない者など)
から教わると良い。学び方のなっている者から教わると良いということだ。自分自身が以上を実践していれば、自分が自分の師になることもできるだろう。常に自分自身と対話ができるからだ。私もそういう学び方のなっている者になってゆきたい。
だから、
- 聞く耳を持っていこう!
- 世に流されず、常に原理原則に沿って取り組んでいこう!
- すぐに「でも、…」となるのではなく、いつもアネーカーンタ(「ある面からみると正しいし、ある面からみると正しいとは言えないかもしれない」)の立場をとっていこう!
- 思いあがらず、いつも謙虚を大切にしていこう!
シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている
↓テキストブックはこちら↓
『ジャイナ教聖典選』(国書刊行会)
★このブログの目的は、
- プレークシャー瞑想やそのバックグラウンドについて研究すること
- 研究したことをプレークシャー瞑想やヨガの指導に反映させ、受講者により良いものを提供していくこと
- 聖典の内容を自分なりにどう日常へ適用・応用していくかを練っていくこと
- ジャーナリングを通じて自分自身と対話し、心・身・魂をととのえること
などです。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
ふくヨガ~自分が自分の医者になる冥想ヨガ~ 文京区・池袋・厚木・茅ヶ崎・秦野・御殿場・Zoom
https://www.fukuyogamedita.com/
SNS
Facebook pageFacebookTwitterInstagramYouTube(ヨガ)Youtube(プレークシャー瞑想)
コメント
コメントを投稿