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虚しく与える人と虚しく生きる人の双方とも善趣に行く




『ダサヴェーヤーリヤ』 第5章  乞食行 第1節  5・1・98~5・1・100より

味がなくても味が変わっていても、味付けされていても味付けされていなくても、湿っていても乾いていても、棗の粉や薄い麦粥の食事は、手に入れば、僅かであれ多くであれ、それは適切なものであり、非難すべきでない。虚しく生きる人は、虚しく得られた与え手と受け手の双方に過失のないものを食べるべきである。虚しく与える人は得難く、また虚しく生きる人も得難い。虚しく与える人と虚しく生きる人の双方とも善趣に行く。


〈沈思黙考〉

虚しく与える人と虚しく生きる人の双方とも善趣に行く

〈応用・適用・活用〉

在家信者にしても托鉢僧にしても、お互いに慎ましい暮らしをすることによって善趣、つまり、死後に赴く世界でも現世で良い行いをした結果赴く世界へ行くことができる。慎ましい暮らしは、
アヒㇺサー(非暴力・不殺生)の積み重ね
だからだ。
托鉢僧はその厳しい修行のために、慎ましい暮らしとは反対の享楽に溺れる暮らしをしている者を避けてカルマを生まないようにするが、それはこうも考えられる。
享楽に溺れ、それによって直接的にも間接的にも何かを奪ったり何かを傷つけたり何かを殺したりするような者が、その結果からくる苦しみを通じて、そんな自分自身を通じて自分を観ることができるようにするためにそういう者を避けるのだと。

たとえば、アドヴァイスをくれたり忠告してくれる者はとてもありがたい。でも一方で、避けてくれる者もありがたいのだ。お互いに与えすぎたりもらいすぎたりは、かえってお互いを毒することもある。お互いが生き方に注意を払い、虚しく、つまり必要以上のものを持ったり必要以上に口を使ったりせず慎ましく生きるとき、そこに無理や無駄が無くなり、他を害することも減り、双方が良い方向へ向かうのだと思う。

生きていれば何かしら食べ物なり必要なものなりが手に入ったり与えられたりする。自分で購入しているものだって、ある意味『与えれる』という現象が介在している。それに対して非難するのではなく、それを活かすようにしていきたい。味気ないもののほうがかえってそこに余計なアヒㇺサー(非暴力・不殺生)が仲介いていないかもしれない。だから、
  • 自分の置かれている状況を善用していこう!
  • 悪習慣や貪りなど良くないことを自他に対して繰り返しているような者に対しては、とりあえず距離を取ったりあまり関わらないようにしていくのもお互いのためであることを諒解していこう!
  • 足りないとか足りているとかに執着せず、自分が真にやるべきことに集中していこう!
  • 無いなら無いなりに、あるならそれを活かしてやっていこう!
  • 自他ともに善趣に行けるような意識で生活していこう
シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている


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