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諸々の欲望を制御しないものが、一体どのように沙門行を行うのであろうか





『ダサヴェーヤーリヤ』 第2章  沙門を始める前に 2・1より

諸々の欲望を制御しないものが、一体どのように沙門行を行うのであろうか。一歩一歩歩くたびに意気消沈し想念の力に屈する。


〈沈思黙考〉

諸々の欲望を制御しないものが、一体どのように沙門行を行うのであろうか

〈応用・適用・活用〉

真に自由になるための沙門行を行うにあたり、もろもろの欲望を制御することが肝要だ。欲望を何とかしない限り、苦しみ、争い、自由にはなれない。私たちの内側で働く心と言動のシステムについて理解し、それを制御しないと真に幸福にはなれないのだ。内側ではこのように働いている。

心→想念→欲望→享受→愛着と嫌悪→苦

つまり、
  • 〈心〉何か外側から刺激がくると心が反応し
  • 〈想念〉そこに想念(ときに妄想)が出現して
  • 〈欲望〉「~したい」(あるいは「~したくない」)という欲望が起こり
  • 〈享受〉欲望由来のモノ・コト(ポジティブの場合もあればネガティブの場合もある)を享受し
  • 〈愛着と嫌悪〉享受した者への愛着や嫌悪が湧き
  • 〈苦〉その結果、それを手放したり奪われたりすることへの恐怖などで苦しむ
という流れだ。だから、苦しむ前の段階のどこかで自制し、余計なカルマを作らないことだ。この流れの根底にはすべて〈欲望〉がある。欲望がなければ刺激に対して反応はしない。嫌悪だって欲望だ。自分の領域を侵されまいと欲するゆえに嫌悪する。だから欲望を制御するのだ。だから、
  • 自他を害するような刺激はなるべく避けていこう!
  • 不要なモノ・コトに触れる機会を減らし、自分のやるべきことに集中しよう!
  • 愛着・執着を生まないためにも、余計なモノやコトの享受を控えていこう!


シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている

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