『アーヤーランガ』第1篇 第8章 解脱の手段 第3節8・3・2より
活力ある者とは、生起と死没とを諒解した後で、光彩あるものを知悉する者のことである。肉体は糧の蓄積であって、艱難があると壊れてしまう。お前たちは見よ。すべての感官が現に病んでいても、活力がある者もいる。その彼は武器を下に置くことを知悉し、憐れみを実践する。そういう托鉢僧は、適時・力・適量・機会・礼儀・教義について諒解している者であり、所有物をわがものにすることなく、適時に実践し、無関心な者として生と死という双方で断ち切った末に、離れていく。
〈沈思黙考〉
活力ある者とは、生起と死没とを諒解した後で、光彩あるあるもの、つまり自制や解脱を知悉する者のことである
〈応用・適用・活用〉
活力とは魂のもつ純粋で平和な力というかエネルギーのようなものと思われる。この力・エネルギーが発揮されるには、
- 生起と死没を諒解する
- 執着すべきでないモノに気を取られずに、
- 自分のやるべきことに全集中する!
- 適時
- 力
- 適量
- 機会
- 礼儀
- 教義(教え・原則・ルールなど)
識別力=知る力=洞察力がとても重要だ。だからこそ、
- 瞑想していこう!
- 調和とは何かを沈思黙考(アヌ・プレークシャー)していこう!
- 自分の執着を知って放棄していこう!
- そうして自分のやるべきことに集中していこう!
- そして、光彩(輝く光)を放つ存在となっていこう!
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