『アーヤーランガ』第1篇 第6章 振り払うこと 第4節6・4・1より
…分析の末に遊行する、良き生活習慣を保ち鎮まっている者たちがいる。そういう者たちに「良き生活習慣をもたない」と繰り返し言い放つ愚鈍な者は、二つ目の愚かさを持っているのである。あるいは、転落して正しい見解をそこない、師には正しく背を曲げて挨拶しながら、生活についてはまったく誤ったほうに曲げてしまう。あるいは、ある者たちは誘惑などに触れてしまうと、生活上の理由だけで退転する。そういう彼らが出離しても、それはできの悪い出離なのである。
〈沈思黙考〉
良き生活習慣を保ち鎮まっている者たちがいる。一方、生活について誤ったほうに曲げてしまっている者は生活上の理由で退転しできの悪い出離となる。
〈応用・適用・活用〉
良き修行者として出離(出家・離俗)するには、良き生活習慣が欠かせない。すぐに誘惑に負けて愚者へと転落して、繰り返す過ちや苦しみから解放はされない。暴力も侵し続けてしまう。修行僧にとっての良き生活とは、俗人の言う健康的な生活などという陳腐なものではなく、「禁欲的修行生活」であり、その「禁欲的修行生活のうちに住む」ということ。あらゆる悪業の根を断つということ。そのために先人たちの知恵・教え(ダルマ)を素直に実行するのだ。
良き教えを説きながらもカルマに侵されている、あるいは良き教えを受けながらもカルマに侵され続けている人は例えばこのような人だ(6・4・2より)。
大したこともないのに智者だと思い込み、「私がいるぞ」とみずからを目立たせるかもしれない。
そういう者たちは愚者と言われるべき人々であり、何度でも輪廻での生を構築する。先人の知恵や師匠などを利用して自らを大きく見せる自己顕示欲の強い「虎の威を借る狐」タイプの者などは要注意ということだ。カルマ・欲望に侵されているので、自分自身のカルマにも他者のカルマにも巻き込まれないよう振り払うのだ。
私のような俗人がこういった教えを適用・応用・活用するならば、- 規則正しい生活を送る
- 瞑想や沈思黙考の時間を設ける(←これを軸に生活スタイルを構築する)
- 外的刺激に反応する自分から学び活かし放棄する
- 不要で不敵な者・モノ・コトはできる範囲で振り払う
例えば以上のようなことだろう。どれが・どちらが先で後ということではないが、だからこそ、
- 自分をととのえていこう!
- 瞑想していこう!
- 洞察力を高めていこう!
- 反応に気づいていこう!
- カルマに気づいていこう!
- 少しづつカルマを振り払っていこう!
- とりあえず俗のレベルでも良いから鎮まっている者になっていこう!
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