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法に背き、罪深い行為をして、愚かな者は、嘆き悲しむ






『ウッタラジャーヤー』(抄) 第5章 意に反した死 5・14より

法(ダルマ)に背き、罪深い行為をして、愚かな者は、死の口である死地に至って、車軸の壊れた車夫のように、嘆き悲しむ。 

 

 〈沈思黙考〉

法に背き、罪深い行為をして、愚かな者は、死の口である死地に至って、嘆き悲しむ  。

〈応用・適用・活用〉

車夫がちゃんとした道を知りながらもそこから逸れて車の車軸が壊れた結果苦しみ嘆くように、法、つまり教えであるダルマに背き、つまりアヒㇺサーを中心とした教えから外れ自制を欠いた言動に走ってしまう、そういう愚か者は、死の口である死地、つまり輪廻転生の沼にはまって抜け出せなくなり嘆き悲しむということ。こういう者は意に反した死を遂げる(つまり、再び生まれ変わり同じ過ちを繰り返し続けるということ)。
だから、
  • 最低限守るべきルールは守らなければならない
のだ。ルールを破るのは
  • 欲望のままに言動してしまい自制が利かないから
だ。風の時代と言われているが、それは単純に流れに身を任せればよいということとは違うと思う。欲望は強いゆえ、流れに身を任せておくと無意識にその欲望の流れに身を任せてしまい、世間の風とその欲望の流れがたまたま一致してしまうと、欲望のはたらきはなお一層強力になっていく。あらゆることが自己都合化していってしまう。

目的地を目指す渡り鳥のように、
  • しっかりと目的地を定めたうえ
で、理性と知恵ある純粋な魂を持った人間として風に乗っていくのだ。渡り鳥は教えられなくとも自己の内側にはじめから目的地が定められている。人間にだって魂という名の目的地がすでに定められていて、光を放って道のりを示してくれているのだ。だから、
  • 自分の内にある灯台を見つけていこう!
  • その灯台に通じるしっかりとした道を見出していこう!
  • その道を優しくゆったりと、アヒㇺサー(非暴力・不殺生)をもって、罪深い行為をできるだけ謹んで、愚者としてではなく賢者として進んでいこう!
  • 灯台・道・その足取りを見出しそれに背かず、自己をととのえて進んでいくために瞑想していこう!


シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている





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