『ウッタラジャーヤー』(抄) 第4章 不完全4・1より
不完全であろうと、人は生命を無駄にすべきではない。疑うまでもなく、老いが近づくことを防ぐことはできない。次のことを知りなさい。人は放逸な振る舞いをするものである。自制のない者たちは、殺害することによって何を得るのであろうか。
〈沈思黙考〉
人に生まれたという貴重な好機を逸して、生命を無駄にする、つまり自制なく放逸にふるまって自他を害するような生き方をするべきではない。
〈応用・適用・活用〉
輪廻転生論の観点からすると、人間に生まれ変わることは非常に困難なことでありがたいことである。ゆえに、人間という自己鍛錬できる生きものに生まれ変わったのならば修行に励めというのだ。しかし、俗的レベルからしても人間としてこうして生きていられることは非常にありがたいことだ。まずはそこを了解し実感すること。そからしっかりと、
人は生命を無駄にすべきでないということについてじっくりと深く哲学することだ。その哲学法として、
- 「不放逸、つまり勝手気ままにふるまい乱暴で、生活に全く自制がないこと、とはどういうことなのか?」
- 勝手気まま→素直で欲張らない
- 乱暴→丁寧・温和
- 自制がない→自律
に修正変換していくのだ。これらはアヒㇺサー(非暴力・不殺生)への道だ。他に対するアヒㇺサーでもあり、自分自身に対するアヒㇺサーでもある。他に対してもそうだが、自分に対するアヒㇺサーが、生命を無駄にしない生き方ではないだろうか。4・13にあるように、こうやって
人は肉体が滅びるまで徳を望むべきである。
生命を無駄にせず、徳を望み実践し自他をいつくしみ大切にする生き方だ。そういうわけで、不完全な自分自身をできるだけいつも「徳を望む」ベクトルに向けておきたい。だから、
- 怒りを護っていこう(怒らないようにしよう)!
- 自負心を取り除いていこう!
- 貪欲を捨て去っていこう!
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