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わかっていてもそれを実行しない






『ウッタラジャーヤー』(抄) 第3章 4つの支分 3・10より

法(ダルマ)を聞くこと信ずることができたとしても、精進はさらに難しい。多くの人たちは、わかっていてもそれを実行しない。 

 

 〈沈思黙考〉

どんなに良い教えでも、それをわかって実行することは難しい。

〈応用・適用・活用〉

4つの大事なこと、すなわち、
  • 人間であること
  • 法(ダルマ)を聞くこと
  • 法(ダルマ)を信じること
  • 自制に努力すること
を手に入れることは難しい。まずは人間として生まれそのことによって多くのことを学び自己を高めることができるということ。これが非常にありがたい(有ること難し)ことなのだ。ゆえに、良き教えを学ぶことができる。ただし学ぶといっても、
  • 法(ダルマ)を聞くこと
も非常に難しい。もっと俗レベルに落とし込むと、『聞く耳をもつ』ということだ。聴くことが難しいのは、
  • エゴやプライドが高い
ということ。自我の強さゆえだ。自分(が教わってきたりえてきたりしたもの)が正しいのだ、という思いや考えが強いからだ。またそれに執着しているともいえる。だから、
  • アネーカーンタ(非独善主義)
を学ぶことだ。「ある観点からするとそれは正しい」とか「ある観点からすると正しいとは言えない」という、中庸の立場に在ろうとすることを学び身につけるのだ。正しいことなんてアネーカーンタを突き詰めていかなければわかってこない。科学だって「最新の科学」なんて表現があるように日進月歩というか変化して一定とはいえないものだ。

  • 法(ダルマ)を信じること
をもっと俗レベルに落とし込むと、(良き)教えやアドバイスなどに対して、いったん自分の思いや考えを脇に置いてそれを検討したり試したりしてみる、などと言えるか。。。やはりこれも自我を脇に置いて、ものごとを俯瞰して中立的に観るということだ。バイアスを落としたときに見えてくるものもあるだろうし、そこから見えてくるものはとても重要なことかもしれない。

以上3つの大切なものを得ようとするプロセスは、いうなれば自我とか自分のカルマをあぶり出しそれと向き合い、そこからいかにそれらを放棄していくか、ということだ。向き合う際の原則は、やはり
  • アヒㇺサー(非暴力・不殺生)
だ。自我やカルマがアヒㇺサーに反していないかという基準で向き合い放棄していく。
  • 自制に努力する
とはそういうことだ。
  • わかったら、いかに実行できるか
にかかっている。ほんの些細なことでも良いから、気づいたら実行していくのだ!決して気負ったり気合を入れてやっていく必要はない。今ある生活を大切にしながら、できることからやっていけばよい。そもそも、
この世において最高かつ大事な4つのものを手に入れることは難しい。(3・1)
のだから。そしてそのうちの1つ『人間であること』はすでに手に入っている!
だからこそ、
  • 自分をリラックスさせていこう(カーヨーッツアルガ)!
  • たとえば生活習慣のちょっとしたことを改善するなどから始めていこう!
  • ちょっとでも出来たら「うん」とうなずいていこう!(自分を過剰に褒めると、そこでまた余計なカルマを生み出すので『褒める』ではなく『認める』程度が良いかと)
  • ある観点からすると正しいし、ある観点からすると正しいとは言えないという視点を持っていこう(アネーカーンタ)!
  • 瞑想して少しずつカルマを放棄していこう!





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