『スーヤガダンガ』第1篇 第5章 地獄の描写 第1節5・1・26より
ここ人間の状態において、小さな快楽のために魂の幸福を逃し、前生の百・千年のあいだもっとも低い誕生にあって、恐ろしい悪事を行う多くの者たちは、ここ人間の状態に留まる。彼の苦しみは彼のなした業(カルマン)にふさわしい。
〈沈思黙考〉
小さな快楽が大きな欲望や執着、暴力を生み、その結果魂の幸福を逃してしまう。
〈応用・適用・活用〉
欲望や執着は強烈ゆえ、ほんの小さな快楽をきっかけとしてその強力さが発動し、魂の幸福が阻害されてしまう。また、それゆえに無意識に暴力を侵してしまう。そして尽きない過ちのスパイラルに陥ってしまうのだ。
- 自己の幸福のために、動くものであれ動かないものであれ、生き物を無慈悲に殺す者(5・1・4)
- それらを傷つける者(5・1・4)
- 与えられないものを取る者(5・1・4)
- 実践すべきものを何も学ばない者(5・1・4)
- 多くの生き物たちに哀れみを感じずに危害を加える傲慢で愚かな者(5・1・5)
こういう者は、地獄に落ちる。つまりカルマがカルマを呼び、カルマ地獄に陥って苦しみに苦しむということだ。表層的には苦しんでいるように見えなくても、同じ過ちを犯していてそれに気づいていないだけで、実は相当な苦しみを抱えているのだ。
しかし結局は、
彼の苦しみは彼の為した業(カルマン)にふさわしい
ということになる。ではどうしたら良いのか?それは、
- 自分のカルマに気づき
- 行為を変容し
- カルマの内容をより良いものにし
- カルマを放棄していく
ことだ。ただし、自分のカルマに気づくことは困難であるから、そこで良き教えに学ぶのだ。たとえば、
- 生き物たちを無慈悲に殺さないようにしていこう!(アヒㇺサー:非暴力・不殺生)
- 与えられないものを奪わないようにしていこう!(アパリグラハ:無執着・無所有)
- 与えられないものまでむやみに欲しないようにしていこう!(アパリグラハ:無執着・無所有)
- そうすることで自分が学ぶべきことを明らかにしていこう!
- 以上の経過を内省するためにも瞑想していこう!
- 瞑想もふくめて日常から得たものは放棄していこう!(アパリグラハ:無執着・無所有)
- そうして快楽という名の誘惑に打ち勝っていこう(=勝利者になっていこう)!
↓テキストブックはこちら↓
『ジャイナ教聖典選』(国書刊行会)
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
ふくヨガ~自分が自分の医者になる冥想ヨガ~ 文京区・池袋・厚木・茅ヶ崎・秦野・御殿場・Zoom
https://www.fukuyogamedita.com/
SNS
Facebook pageFacebookTwitterInstagramYouTube(ヨガ)Youtube(プレークシャー瞑想)
コメント
コメントを投稿