『スーヤガダンガ』第1篇 第4章 婦人と関わりをもたないこと 第1節4・1・1より
托鉢僧は、母、父、そして以前に関係したものすべてを捨て、性的な享楽を止めた者として、孤独な場所を求め、友を持たずに一人行く。
〈沈思黙考〉
孤独な場所を求め、友を持たずに一人行く
〈応用・適用・活用〉
生きものたちとのかかわりの中にいると様々な誘惑に出くわし、それは4・1・2にあるように
ずる賢く、忍び足でやってくるのだ。キリスト教でいうところの『サタン』がこのそそのかしてくる存在だろうか。誘惑は欲望を掻き立てるもので、その欲望は強烈ゆえいつの間にかその誘惑に蝕まれてしまう。だから友を持たずに一人行くのだ。仏教でも
- 「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」
とある。ただ、世俗的な意味でいう『友』を放棄しそれを超えたときに、魂の輝き同士の調和がある。何のしがらみもない孤独な魂同士の調和だ。お互い独立しているからこその調和だ。だから、真の孤独、つまり真の自分=魂に還るというかいうかその魂を取り戻せば、決して世俗でいう孤独なのではない。本当の孤独な場所というのは、そういう場所なのだと思う。
そして、私のような俗人であれば、そういう場所=明かり・灯のような場所を共有できる者同士で、お互いに属しかつ属さずに、群れながら群れずに励んでいけばよいのだと思う。そういう、自由で沙門的なサンガで学びあえればよいのではないだろうか。だから、
- 自他の生き方を尊重していこう!
- 相手の立場を大切にしていこう!
- マウント取りや自己顕示を慎み、相手を励ましていこう!
- 相手を自分の利益のために利用していないか?と自問自答していこう!
- いつも「アヒㇺサー(非暴力・不殺生)」を目的地としていこう!
- 以上を実践するためにも瞑想していこう!
自分自身で真実を見つけましょう。そしてすべての生きものたちと仲良くしましょう (ヴィヴェーク・スートラⅰ)
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