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その者が腰布を保持することは適切である







『アーヤーランガ』第1篇 第8章 解脱の手段 第7節8・7・1より

「私は草との接触という苦痛に耐えることができる。寒さとの接触という苦痛に耐えることができる。熱との接触という苦痛に耐えることができる咬む虫や蚊との接触という苦痛に耐えることができる。これらのうちのいずれか、あるいは別の様々な形態をもつ接触という諸苦痛に耐えることができる。しかし、羞恥ゆえに覆う布がないことに耐えることができない」とこのように、衣なくとどまるその托鉢僧が考える。このような場合、その者が腰布を保持することは適切である。… 

 

 〈沈思黙考〉

このような場合、その者が腰布を保持することは適切である。


〈応用・適用・活用〉

「焦らず、じっくり、ゆっくりでいいんだよ」と言われているような感じがする。

第8章のテーマは解脱の手段で、ここまでその手段が段階的に説かれてきた。テーマは欲によって集めたり保持したり背負ったり纏ってきたりしたものをひとつづつ放棄していくこと。
いきなり放棄せよなどとは言われていなくて、もし羞恥がある、このような場合は、
  • 「その者が腰布を保持することは適切である。」
と説いてくれている。
  • 「なんでもかんでもいきなり自分をさらけ出さなくてもいいんだよ」
と言ってくれているわけだ。
自分自身を知っていくことは大変だし時には苦痛だし、自らを変容させていくことも一筋縄ではいかない。知ってからも恐れや苦痛があるかもしれないし放棄するのも一苦労。ありのままの自分で生きることは勇気がいる。だから、焦らずに
  • 「その者が腰布を保持することは適切である。」
のだ。つまり、恐れなどがあるならば、じっくりと自分をととのえて準備してゆけばよいのだ。
8・4・7にはこうある。
「さて、この教義のもとで、この身体を運びまわることにだんだんと私は疲れてしまった」と、ある托鉢僧が考えるとする。そういう彼は段階的に摂食を減らすべきである。
やはり、あせらず無理せずにゆっくりやっていけばよいのだ。そして、
段階的に摂食を減らした後、諸々の精神的な汚れをやせ細らせ、身体を統一させて板のようなやせ細った体躯をした者として決起した後、身体の火がしっかりと消えたかのような托鉢僧は…

とあるように、この断食行を俗の私たちに応用・活用するならば、じっくりと段階的に汚れ、つまり背負っているものや纏っているものを放棄して心身をスッキリとととのえ、そのうえで
  • 「よし、やるぞ!」
  • 「続けていこう!」
と決起してゆけばいいのだ。自分自身に暴力を振るわないことは、もっとも大切なアヒㇺサー(非暴力・不殺生)だ。もっと自分に優しくしていいのだ。だからこそ、

  • 決して焦らずに行こう!
  • じっくり行こう!
  • 瞑想しととのえていこう!
  • 瞑想し汚れ落としを継続していくためにも自分を赦して優しくしていこう!





シュラバナベラゴラのバーフバリ象。約12か月間の立位のカーヨーッツァルガ(罵られたり犬にかまれたりなどいかなる刺激に対しても反応もせず身体を放棄する瞑想)によって悟られた。脚や腕にツタが絡まっている












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