『アーヤーランガ』第1篇 第6章 振り払うこと 第2節6・2・2より
次に、ある者たちは教え(ダルマ)を受け入れた後、修行者の持ち物を受容することなどによく心を定め置いて、執着することなく、堅固な者として動き回ることができる。「私のものは存在しない」と、すべての強欲を知りぬいたうえで放棄し、あらゆる点で執着を超えていった末に、この者は敬虔な黙考する修行者となる。…
〈沈思黙考〉
「私のものは存在しない」
〈応用・適用・活用〉
「私のものは存在しない」という境地に至ることができれば、もはや暴力も争いもなくなる。目指していきたい境地だ。世の争いの根本にあるのは欲や執着からくる「所有」だ。所有しているものを侵されようものなら、そこにいざこざや争いが生じる。正しさなどの是非を主張しあうのも一種の争いだ。自分の「所有している」考え方のほうが正しい、とか、あなたの「所有している」やり方のほうが間違っている、などという所有から生じる争い。所有し争うと、本来の目的地が霞んで忘れ去られてしまう。。。自分の内側にもこういった要素が多分にある。それは無意識の日常行為でさらに知らず知らずのうちに悪化している。
行為(カルマ)というずた袋に束縛されて、あるいは不正な言葉の接触という苦痛に束縛されて
しまっているのだ。所有している自分が、実はカルマによって所有されているともいえる。カルマに所有されてしまっている自分、つまりそういう範疇に生きている限り、不正な言葉をはじめとした自分を苦しめるモノやコトに苦しめ続けられる。だから、ずた袋から抜けだし、明るい世界へ向かっていくのだ。そのためにも、
- 自分にまとわりついているカルマを振り払う
- 執着を超えて行く
- 瞑想していこう!
- 振り払うための活力を高めていこう!
- 無常=すべては変化していて所有などできないのだということを腑に落としていこう!
- モノやコト、何かの言動に反応してしまっている自分、感情が湧き上がってくる自分に気づき、そこからカルマを把握していこう!
- 起こってきた反応は振り払っていこう!
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