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暗闇の中で識別しない者が、知を獲得することはない







『アーヤーランガ』第1篇 第4章 正しい状態 第4節4・4・2より

禁欲的修行生活のうちに住んだ後、隆起するものを振り払うこの人は、賢明にして受け入れられるべき勇者であると称される。両目がすっかり覆われているせいで、愚者は行為(カルマン)を受容することという流れに囚われ、束縛をいまだ断ち切らず、関係をいまだ脱していない。暗闇の中で識別しない者が、知を獲得することはない。

 


 〈沈思黙考〉

暗闇の中で識別しない者が、知を獲得することはない→暗闇から脱し識別できるようになると知を獲得することができる


〈応用・適用・活用〉

カルマという無意識の働きに知らず知らずのうちに操られている状態=暗闇にいると、いつまで経っても本当のこと=知は見えてこない。両目が覆われている、つまり真実を見る目がすっかり覆われているせいで、無意識にカルマを受容することという流れに囚われ、束縛を断ち切らず(というより断ち切れず)、カルマとの関係を脱することはできない。なぜ行為を為すのかと自問してみると、それは「そうしたい!」というのが無意識のうちに働いているからだ。つまり欲という名のカルマが自分の奥深いところで自分の肉体をそそのかしているのではないか?そこでカルマの正体をあぶりだすにはどうしたらよいか。。。

  • 禁欲的修行生活のうちに住む
ことだ。僧の修行とまではいかなくとも、できるところから禁欲を試してみるのが良いと思う。たとえば、

  • 断食
  • 断買い物
  • 断読書
  • 断料理
  • 断物書き
  • 断情報
  • 断スマホ etc.
など、日常生活で毎日やっていることやクセになっていることをリスト化し、できる範囲で試してみる。あまり苦しくない範囲でやってみて、やってみた結果どういう感情や気持ち、肉体的反応などが出てくるか観察してみる。そこを手掛かりに古い繋がりがわかってくるかもしれない。古い繋がりがわかったら、それは捨ててしまえばよい。

欲望に突き動かされたまま生活していると、いつまで経っても同じ過ちを繰り返し、無意識に自分のクセにしがみついて我儘が増長し、他とも自分自身とも争い傷つけてしまうのが延々と続いてしまう。だから、
  • 用心していこう!
  • 自制していこう!
  • できるだけ広い視野を持っていこう!
  • あるがままに世界を観察していこう!
  • そうやって自分自身を通して自分を観ていき、本当の自分を観ていこう!










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