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およそ漏入なること、それらはなべて滲出である



 



『アーヤーランガ』第1篇 第4章 正しい状態 第2節4・2・1より

およそ漏入なること、それらはなべて滲出である。およそ滲出なること、それらはなべて漏入である。およそ漏入でなければ、それらはなべて滲出ではない。およそ滲出でなければ、それらはなべて漏入ではない。これらの語句を正確に理解しつつ、そして知によって世間のことを会得し、すでに自分にとっては周知のことを個別に――つまり輪廻に陥っているが識別する力はすでに得ており、正確に理解しつつあるこの世の人々に、智者として説くのである。

 


 〈沈思黙考〉

漏入なること、つまり行為=自分の内に蓄積するカルマは、なべて滲出、つまり消滅=あるカルマの消失である。これらの語句を正確に理解すること。


〈応用・適用・活用〉

語句の背後には意味や現象、また現象の深層にある原理原則がある。自分の内側で働いている原理原則をしっかりと見ていくこと。自分の行為の背後には、それまで積み重ねてきた行為が潜在意識に定着した、いわゆるカルマがある。何かを為せば、何らかのカルマが蓄積されるが、一方で何らかのカルマは消失する。これがカルマの法則=原因と結果の法則。歳を重ねていくほど時間がたつほど、自分の関心が変化したり癖が変化したり囚われから解放される経験をする。また、別の関心が出てきたり別の癖が出てきたり別の囚われが現れたりもする。現象は変化するけれど、根底にはやはりカルマの法則=原因と結果の法則が働いていて、過ちや悪行を繰り返していることには変わりない。だから、

  • 根底には原因と結果の法則が働いていて、過ちや悪行を繰り返すというレベルで輪廻していることを諒解する
ようにすること。そして、

  • 自分の繰り返していることを正確に知覚し把握していこう!
  • 正確に知覚し把握していくために瞑想し、自分を俯瞰してかつそれを優しく見つめることのできるリラックス状態を作っていくようにしよう!










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