『アーヤーランガ』第1篇 第4章 正しい状態 第1節4・1 ・3より
そういう教えを受け入れた後で、放置するべきではない。教え(ダルマ)を如実に諒解した後、その教え(ダルマ)を放出するべきではない。視認した諸対象に嫌悪感を抱くべきである。世間を求めることに動くべきではない。この知をもたないような者に、どこから他の知がやってくるというのか。ここで語り尽くしていることは、すでに見、聞き、思考し、諒解したものである。平静になりながらも消え去りながら、繰り返し再び生を構築する。しかし、賢者は昼も夜も努力しながら、常に洞察を得ている。お前は放逸な者たちを外部から見よ。放逸ではない者たちの方へ、常に邁進するべきである。
〈沈思黙考〉
お前は放逸な者たちを外部から見よ。放逸ではない者たちの方へ、常に邁進するべきである。
〈応用・適用・活用〉
類は友を呼ぶの言葉にあるように、普段自分が見聞きしたり接したりする人によって自分がそういう者たちやモノコトたちに囲まれそういう性質になっていく。特に放逸な者やモノコトは誘惑性が高かったり中毒性があったりする。だから、普段から自分の感覚器官に入ってくる情報は制御が必要だ。放逸な者は、他人だけでなく自分自身の内側にも存在し、その者たちが放逸性を帯びたモノコトを引き寄せる。これらを制御するためには
- 放逸な者たちを外部から見る
そして、

- 放逸ではない者たちの方へ、常に邁進する
ようにしていくのだ。日常で必ずそういう時間を設けるのだ。放逸でない者やそういう者の書き記したものなど、放逸性のないものをできるだけ自分に取り入れるようにするのだ。
そいういうことで、
- 瞑想して自他ともども放逸な者たちを外部から見ていこう!
- こうしたジャーナルなどを通じて放逸でない者たちに接していこう!
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