『アーヤーランガ』第1篇 第3章 冷たいものと熱いもの 第4節3・4 ・1より
その者が怒り・慢心・たぶらかし・貪りを吐き出していれば、これは看破する者の見解である。武器の行使を止めて終局を作る者の、行為(カルマン)の受容はおのずと崩壊する。怒りなどのうちの一つを諒解する者は、怒りなど四つすべてを諒解する。すべてを諒解する者は、一つを諒解する。放逸な者には、あらゆる側面で恐怖がある。不放逸な者には、あらゆる側面で恐怖がない。
〈沈思黙考〉
怒り・慢心・たぶらかし・貪りを吐き出して武器の行使を止めれば、行為(カルマン)の受容はおのずと崩壊する。
〈応用・適用・活用〉
繰り返す過ちや無意識に侵してしまっている暴力などは、カルマすなわち自らの業であるところの行為のせいだ。自分の業が次の業を引き起こし、それがまた次の業を引き起こす…といった具合に延々とその流れは止まらない。そこでこの流れに終局を作る、つまり武器の行使をやめれば、業は崩壊し、過ちを繰り返したり暴力を侵したりしなくなる。ではどうしたらよいのか…
- 怒り・慢心・たぶらかし・貪りを吐き出す
のだ。その際に
- すべてを諒解し、一つを諒解すること
- 一つを諒解し、すべてを諒解すること
が重要。単一の名称をもつものは複数の名称をもっている。つまり、『怒り』には『慢心』『たぶらかし』『貪り』が含まれるし、『慢心・たぶらかし・貪り』には『怒り』が含まれている。これを人間同士に適用すれば、自分はすべての人間の写し鏡でもあるし、すべての人間は自分の写し鏡であるということ。『対人間』だけでなく『対生きとし生けるもの』にも適用されるだろう。そういうわけで、
- 自分自身にすべての生きものを見ていく瞬間をつくっていこう!
- すべての生きものに自分自身を見ていく瞬間をつくっていこう!
- そしてそれらを放棄していこう!
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