『アーヤーランガ』第1篇 第3章 冷たいものと熱いもの 第3節3・3 ・3より
「過去に、この者に何があったのか」「未来に何があるだろうか」と、ある者たちは後のことに基づいて前のことを起想することがない。一方、この世で、ある人々は「過去にこの者にあったこと、それは未来にもある」と語る。対して完璧な修行者(タターガタ)たちは、未来のことに基づいて過去時を決めつけず、過去のことに基づいて未来時を決めつけない。偉大な聖仙は、振り払うことを規定とし、今述べてきたこのことを望見し、徹底的に消し去った末に、滅ぼす。(2)不快がなんだというのだ。歓喜が何だというのか。不快と歓喜というここで囚われずに行動すべきである。一切の歓喜をすっかり捨てた後、制御し防護している者として遍歴するべきである。
〈沈思黙考〉
未来のことに基づいて過去時を決めつけず、過去のことに基づいて未来時を決めつけない。それらは振り払って徹底的に消し去り滅ぼすものだ。
〈応用・適用・活用〉
世間の関係性を諒解し、自分に比して外側を見て黙考するのがカルマの法則(原因と結果の法則)を把握すること。ただそれは目的地に至るための途中経過で、その先の『放棄』が重要。つまり観察した後アートマン(個我・魂)を澄み渡らせることが重要。
たしかにカルマの法則(原因と結果の法則)が把握できてくると、未来のことに基づいて過去時のことがわかってくるかもしれない。過去のことに基づいて未来時のこともわかってくるかもしれない。そして繰り返す過ちを減らして行けるかもしれない。しかし、この段階も少なからずカルマの法則(原因と結果の法則)に束縛されていることに他ならないわけで、これらも振り払い放棄し徹底的に消し去って滅ぼしてこそ、真に安らぎ和らぎ平和になるということ。だからこそ、
日常でカルマの法則(原因と結果の法則)に気づき自分の繰り返している失敗や過ちに気づいたら、
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