『アーヤーランガ』第1篇 第2章 世界制覇 第5節2・6 ・3より
勇者は不快を許容しない。勇者は快を許容しない。勇者は思考力が乱れないから、それゆえ勇者は魅惑されない。諸々の接触という苦痛を耐えながら、この世に生きる喜びをお前は嫌悪せよ。黙考する修行者として、黙考する修行者のありあり方を完全に受け入れた後、行為(カルマン)の身体を振り払うべきである。正しい状態を見る勇者たちは、粗末で粗悪なものに馴染む。こういう者が激流を渡る者、黙考する修行者、渡り終えた者、解放されている者、停止している者である、と解き明かされている。
〈沈思黙考〉
正しい状態を見る勇者たちは、粗末で粗悪なものに馴染む。つまり、激流を渡る者であり、黙考する修行者であり、渡り終えた者であり、解放された者であり、停止している者である。
〈応用・適用・活用〉
正しい状態を見る勇者たちは、粗末で粗悪なものに馴染む。それは決して所有したり執着したりするわけではなく、知り尽くしたうえで放棄し、無執着になっているということだ。知り尽くすということは、粗悪で粗末なものについてもまるで一体化したかのごとく理解するということ。自他を知り尽くすということだ。知り尽くしているけれど放棄しているということだ。
特に他の悪いカルマや自分の悪いカルマを知り尽くすプロセスは、まるで激流を渡るようなもの。ある意味恐怖を見つめるということだ。自他の悪いカルマを見つめることは、そのカルマとの接触であり苦痛である。一見よく見えるカルマでもそこには魅惑や快楽が潜んでいることもある。それはやがて苦になる。だからこそ、
- 不快を許容しないと決心し、許容しないようにしていく
- 快を許容しないと決心し、許容しないようにしていく
- 沈思黙考(アヌプレークシャー)し、わがものという考えを捨てていく
ことである。『わがもの』を捨てれば、恐怖を見つめることができるようになっていく。執着がなくなっていけば、恐れはなくなっていくのだ。
好き嫌い(快・不快)の感情から離れるようにしていこう!
好き嫌い(快・不快)の感情が出てきたら、出てきたことを認め、そのうえで沈思黙考(アヌプレークシャー)していこう!
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