『アーヤーランガ』第1篇 第2章 世界制覇 第2節2・2・1より
その者が叡智ある者なら、不快を粉砕するべきである。しかし無知ゆえに好機を逸してしまった時、迷妄に覆われた愚鈍なある者たちは、苦難に襲われているのに世俗生活に引き返していく。「私たちは無所有者になろう」と決起した後で、得られた欲望の対象にのめりこむ。無知ゆえに、黙考する修行者を自称する者たちはよく調べる。「こちら側にもなく、あちら側にもない」と、何度もここ、迷妄の上でへたりこんでいる。しかしいいかね、向こう岸に至る者たちは解き放たれている。貪らないことによって貪りを嫌う者は、獲得した欲望の対象にのめりこみはしない。貪りを取り去って出離した後、この者は行為(カルマン)なき者として諒解し、看破する。よく調べた後、切望することがない。こういう者が、家なき者と説かれる。
〈沈思黙考〉
解き放たれている者は獲得した欲望の対象にのめりこまず、良く調べた後、切望することがない。こういう者が、家なき者と説かれる。
〈応用・適用・活用〉
解き放たれ自由な者は、たとえ何かを獲得したとしてもそれにのめり込まないし切望することもない。【自分・欲望・欲望の対象】の相関関係やそこから起こる言動や出来事を深く知覚し理解し知ってそのうえでそこから自由になっている。これは言い換えると、恐怖や期待から離れているということ。そういった自分を取り囲む囲い、つまり家を持たない「家なき者」ということ。では自由になるためにどうしていったらよいだろうか。。。
●日々起こってくる感情を振り返り、そこに恐怖や期待があると了解すること
●そういう感情も含めた諸活動を通じて、些細なことから大きなことまで自他に対する暴力に着手しているのだと了解すること
●自他に対して侵している暴力のプロセスを知ったら、諸活動を通じた暴力に着手しないこと
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