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自らの利に正しく自分自身をしっかりとどまらせるべきである





『アーヤーランガ』第1篇 第2章 世界制覇 第1節2・1・5より

それぞれの喜悦は苦しみであると諒解した後、いいかね、生命力がいまだ過ぎ越えていないことを観察してから、聡明な者としてお前は好機を諒解せよ。聴覚・視覚・嗅覚・味覚・触覚の能力がいまだめっきり衰えていないという、以上のようなさまざまな特徴をもつ理解力がいまだめっきりと衰えていない限りは、自らの利に正しく自分自身をしっかりとどまらせるべきである。


 〈沈思黙考〉

理解力がめっきりと衰えていない限りは、自らの利に正しく自分自身をしっかりとどまらせるべきである。


〈応用・適用・活用〉

人には生老病死があり、たとえ喜びがあったとしても最終的には苦しみにつながっていく。喜悦は束の間であり変化するのだ。喜悦をはじめとした喜怒哀楽は感官の対象のところにいるゆえ、つまり感覚器官の対象にとらわれ拘束されているがゆえに起こってくるもので、そこに苦しんでいるのである。それをほう助しているのが他ならぬ放逸な自分。

感覚は衰えてゆく。感じる力が衰えてしまえば、苦しみの根元にはアクセスできなくなってしまう。だから、感じる力を取り戻し高め、そのプロセスで気づきを獲得し、放逸な自分に気づきながら律していき、何が大切で何をすべきでないかを理解していこう!拘束されている自分を解放していき、真の幸福へ向かっていこう!そのためにも、瞑想し、哲学し、ヨガをし、自他を励まし、日々発している言葉に気を付けていこう!







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